豊田ヒロユキ オフィシャルブログ


プロフィール

豊田ヒロユキ

豊田ヒロユキ

HIROYUKI TOYODA
1980.02.19生まれ
A型 西東京出身

ギタリスト。 ルーツはハードロック・メタル・パンクロックなど。 その他、様々なジャンルアーティストのバックバンドなどを経験する

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2014.07.28
DNAレベルの話

テーマ:未分類

じゃあ次は金曜日に島唄遊びしにるからね、

と俊造おじさん(親戚)は言い残し去った火曜日。

俊造さんくるなら、とたくさんの人が集まった金曜。そこに私の父と姉は奄美に着いた。

延命治療を選ばず、家で療養をすると決めた家族。

その金曜、生きても2週間と言われた日から4日目の朝、家に来た医者はもう数時間だろうと言った。

寝たきりのベッドの横でおじさんが三味線を唄う横で、顎を動かし息をする婆さん。(顎で息をするともう最終段階らしい)

唄を終えると大きく顎が動いて、それが最後の息だったようです。

耳は最後まで聴こえるようです。

そんな映像を観ました。

大好きな島唄を子守唄に婆さんは亡くなりました。

その映像は言葉にならない感じで。。

ある程度まで行くと、人は死ぬ瞬間を選べると聞きました。

なんか、唄の、音楽の本当の存在意味を改めて突きつけられたような、唄の力を少しも疑う事ができなくなりました。

唄を始めると少し息を取り戻したとも言っていました。

行(い)きゅんにゃ加那(かな)
吾(わ)きゃ事忘(くとぅわす)れて 行きゅんにゃ加那
打(う)っ発(た)ちゃ 打っ発ちゃが 行き苦(ぐる)しや
ソラ行き苦しや

(行ってしまうのですか愛しい人
私の事を忘れていってしまうんですか愛しい人
行ってしまうのが、行ってしまう事がとても辛いです、それはそれは生き苦しいのです)

「行きゅんにゃ加那」

奄美の代表的な島唄です。

沖縄の島唄のイメージ、どうにかなるさ!なんとかなるさ!という明るいメッセージとは真逆の意味の哀しい唄が多いです。それが奄美の島唄です。(と思っています)

悲しいとは少し違う、哀しい、唄が私は好きなのですが、そこから来ているのでしょうか。。

俊造おじさんは自分の唄で、眼を開ける事の無かった人が眼を開けた事があったので、今回もきっと眼を開けてくれるはずだ、と唄ったようですが、婆さんの眠気には叶わなかったようです。

しかし、最高の子守唄になったのです。

こんな幸せな最後は見た事が無いと皆が言います。

奄美の島唄の意味は全くと言っていいほどわかりません。

ただ、俊造さんの島唄だけは無条件に涙が出ます。意味がわからないのに、です。

これはもうDNAレベルで反応してるとしか思えないのですね。

やっぱり音楽っていいな、唄っていいな、ってのをはるかに越えたところの世界の話です。

私は婆さんが弾いて来た三味線を持って帰って来ました。

ネックの裏には昭和55年9月と書いてありました。

私が産まれた年です。

私が弾く以外の理由がないですよね、これ。

しばらく勉強しようと思います。

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